フミノブログ

西元フミヤ@繊細な九州男子カウンセラー

僕について Vol. 2 【大学時代〜社会人】

こんにちは。

 

心理カウンセラーのフミです。

 

前回のブログに引き続き、今回も僕自身についてのブログを少々。

今回は大学時代から社会人(現在)までの歴史を書いてみました。

 

前回ブログを書いてみて思ったのですが、僕、結構さらけ出してます笑

恥ずかしいことや、ちっとも自慢にならないようなこともアウトプットしてみる。勇気を持って書くことで、少しでもどこかの誰かに何か(希望とか、勇気?)を与えられたら嬉しいなという思いがモチベーションです。また、自分について書くことで新たな発見や思考の整理的な時間にもなっているので、自分のためにもなっていたり。要はwin-winじゃない?ということです。はい。

 

ということで、、(?)

 

よければ最後までお読みください。

大学時代

高校時代に微塵も勉強をしなかった僕は、当然のように大学受験に失敗。大学に行かないと就職できないという将来への不安(思い込み?)から、母親にお願いして予備校へ通って地元の大学を目指すことに。

 

しかし、その予備校時代にある大学教授と出会ったことがきっかけで、進路を思いっきり路線変更。下した決断は、海を越えて海外の大学へ進学することに。

「このまま地元で大学行っても結局遊ぶだけだしな」

心のどこかでそう思っていたのでしょう。潜在意識の中にあったものが現実化したのかもしれません。留学なんかできる裕福な家庭でもないのに、なぜか”もうこれしかない!”という気持ちで頭がいっぱいになっていました。何とか母親を説得させることに成功し、奨学金制度への申し込みと同時に、南半球オーストラリアへ飛び込んでいきました。

 

知り合いゼロで英語もまともに話せなかった僕にとっては、留学生活は毎日が戦いでした。お店で差別を受けたり、発音をバカにされたり、大学の入学手続きでやらかしたり、郵便局で英語が通じず後ろに大行列を作ってしまったり。失敗、やらかしの無限ループでした。

 

でも日本人の僕にとっては当時は毎日が非日常でもあり、スリル満点の刺激的な生活がとにかく楽しかったように思います。ホームシックなんてしませんでしたね。

 

それから、これは高校時代の反動だったのか、人生初めて”死ぬ気で”勉強というものをやりました。無理をしすぎたのか、ストレスが原因で逆流性胃腸炎も発症しました。が、死ぬ気で勉強しました。そのおかげもあってか奇跡的に海外大学を無事に卒業し、学士号を取得。

 

これが人生で初めての成功体験だったように思います。

 

キャリア

大学を卒業後は日本へ帰国。しばらくニート期間を経て、東京にあるイベント会社へ新卒入社。26歳で社会人デビューを果たします。

 

超絶ブラック企業だったイベント会社で約3年ほど勤務した後、逃げるようにして退職。これから時代は手に職をつけないとヤバイ!という思いに駆られ、外資系のIT企業に入社します。

 

が、業界のことも全く調べないまま適当に応募しての入社だったため、たった4ヶ月という短い在籍期間で会社をクビになりました。

 

人生で初めてく”クビになる”という経験をした僕は、心が潰れていました。しばらく心を休めた後、同じく東京にある通信インフラの会社へと転職。入社して1ヶ月後、その会社の札幌支社への転勤を告げられ、2年半ほど北海道で働くことに。雪国ライフを初体験。

 

しかしこれまた大変な業務内容で、夜勤地獄と仕事のつまらなさに限界を感じて2年で退職。退職後は札幌に残って職探しをしていましたが、なかなか次の仕事が決まらず半年間プーとなった挙句、経済的にも限界が近づいてきたため、地元鹿児島へ避難するように帰りました。

 

久しぶりの鹿児島。帰国以来の地元でした。

戻ってきて割とすぐにWEB制作の会社から内定をいただき、入社することになりました。ずっとやりたかったウェブ制作。非常に楽しく、全てが順調に進んでいたように思えました。

 

が、、、しかし


コロナの影響が深刻で、会社の業績が大きく傾いていたみたいで。約3年間の在籍期間を経て、会社都合という形で人生二度目のクビを経験することになったのです。会社都合ではあったものの、ここで完全に燃え尽きてしまっていたようで、またしばらくニート期間に突入します。

 

30代半ばで実家暮らしのニート

 

この期間は、僕の人生の中でも特別な時間だったと思います。人生における仕事のあり方、仕事との向き合い方、本当に自分がやりたいことについてなど、真剣に向き合いました。

 

そしてちょうど失業保険が切れるタイミングの時、何を引き寄せたのか、いろんな偶然や不思議なご縁が重なってついに就職先を見つけました。3年ぶりにIT業界へ戻ることになりました。そして無事に会社員として社会復帰することになりました。しかも地元ではなく in 名古屋で(笑)

 

《これまでの経歴と居住地》

鹿児島(幼少期〜高校時代)→オーストラリア(大学時代)→鹿児島(ニート)→東京(イベント業)→東京(IT業)→札幌(通信業)→鹿児島(ウェブ業)→名古屋(IT業。イマココ)

次は『現在の僕』などについて書いてみようと思います。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

今日も皆様にとっていい日でありますように。

 

フミ

僕について Vol. 1 【幼少期〜高校時代】

こんにちは。
心理カウンセラーのフミです。

 

本格的に寒くなってきましたね〜。寒いのが苦手な僕にとっては、この時期朝起きるのが辛すぎます😝

インフルエンザも流行中みたいなので、体調にだけは気をつけたいものですね。

 

さて今日は僕についてを少々、書いてみたいと思います。

本当なら一番最初に書くべき内容だったようにも思いますが…
このブログを通して、僕のことを少しでも知っていただければ嬉しいです。

 

ちなみに、書き始めたらすごく長くなってしまいました、、

なので分割してお届けします。

幼少期

あと数年でバブルが弾けるという1980年代後半。僕は九州の南、鹿児島県で生まれました。

 

会社員の父親、専業主婦の母親、2つ上の兄、そして僕の4人家族。裕福でもなく貧困でもなく、ごくごく普通の一般的な家庭で生まれ育ちました。

 

幼少期はとても活発で、好奇心旺盛な少年でした。とにかく外で遊ぶことが日課になっていて、友達と川や山に遊びに行ったり、いろんな虫を素手で捕まえたり、路上で裸足でサッカーをしたり、自転車で遠くへ行ったり、家族で年中キャンプに行きまくったり。怪我もたくさんしました。大切に育てられ、幸せな家庭の中で、何一つ不自由ない幼少期を送っていました。

 

そんなある日、僕が小学校4年生の時でした。
父が癌でこの世を去りました。享年46歳。

入院してから3ヶ月という短い闘病生活。あっさりと天に召されて行きました。当時9歳だった僕は、父親の死という事実が理解できずにいて、お葬式の時には涙も出なかった記憶があります。

 

老若男女いろんな人から慕われて、お葬式には100人以上の人が参列していたと思います。誰に対しても柔らかく接し、イケメン高身長で誠実だった父。生きてる時に怒られたことは一度だけで、家の中でもいつも穏やかで優しかった父でした。

父親を失い、母と兄と僕での3人暮らしがスタート。ここから家族の形が徐々に変化していき、僕の人格形成に大きく影響していきます。

 

母親は次第に過干渉になり、捻くれていた兄がさらに捻くれ、家庭内でのコミュニケーションが困難になるほどキツイ性格になっていきました。クセの強い2人に囲まれての生活は、大変でした。苦しいでした。

 

生きづらさはもちろんのこと、自分の気持ちを誰からも汲み取ってはもらえず、母親の期待に必死に応える人生を選択をするよになっていき、言葉と暴力でイジメてくる兄に対しては必死に強がって生きていくようになりました。

 

本当の自分を押し殺した人生が、ここに幕を開けたのです。

中学〜高校時代

中学校を卒業後、県内有数の進学校へと入学。

 

ところが、世間体や家族の期待に応えるための高校選びだったため、入学と同時に完全に燃え尽きてしまいます。

 

通学するだけでやっとな状態。勉強は全くせず、成績は常に学年でビリから10番目ぐらい(学年全体では300人ぐらい)。共学で、かわいい女子も多くて有名な学校だったのに、男女共に友達と呼べる人は誰1人おらず、先生たちからも諦められていました。成績至上主義の先生たちは、僕にような落ちこぼれが質問しに来ると鼻で笑ってくることもしばしば。校内放送で校長先生から名指しで呼び出され、喝を入れられた時もありました。

 

家に帰れば、過干渉オカンから指示出しのオンパレード。兄はただただ僕をイジメて、傷つけてくることしかしない。もうどこにも”居場所”というものがなく、心も体も崩壊寸前でした。いや、崩壊していたんだと思います。誰からも構われず、希望もない、孤独で、空っぽな3年間。

 

今思うとなぜあんなに無理して学校へ行っていたのかが不思議で仕方ありません。ひたすらに耐えていた自分。今だったらあの時の自分をハグして、そっと抱きしめてあげたい、褒めてあげたいです。きっと世間体を気にして、学校に行かないという選択肢はなかったのでしょうね。その時に選べる選択肢が、”とりあえず学校に行かないと”。その一択しかなかったのだと思います。

 

という感じで、幼少期から高校時代までの僕を書いてみました。

まだまだ長くなりそうなので、続きは次のブログにて。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

フミ

嫉妬について

みなさん、こんにちは。

 

見習いカウンセラーのフミです。

 

先日は、大阪へ第2回目の心理学講座に行ってきました。その時の講座の中で『嫉妬』という感情について考えさせられる時間がありました。今日はその”嫉妬”について、少し書いてみたいと思います。

 

嫌な感情ですよね?嫉妬。

誰だって感じたくない感情なんじゃないかな、と思います。

 

最初に結論を言うと、僕は嫉妬について前向きです。
嫌だけど、めっちゃ前向き。とても尊く、大切な感情だと捉えています。

 

なぜかって?

 

嫉妬が大事なことを教えてくれるからです。
嫉妬を通して、自分が大切にしているものや価値観を教えてくれるんです。

 

自分が欲しているものに気づかせてくれるセンサー的な役割でしょうか。そんな存在。日々上手く付き合うようにしています。

 

でも以前はそうではなかったんです。

 

日常生活のいろんな場面で嫉妬がジワッと出てくると、感じないように一生懸命戦ったて、奥底に封じ込めようとしていました。嫉妬は醜い、嫉妬を感じている自分が情けなくてカッコ悪い。男が嫉妬なんてみっともない、なんて思う時もありました。

 

さらに悲しいことに、そうやって嫉妬から目を背けることで、負のスパイラルが発生してました。抑え込んだ嫉妬がどこかで暴走し、知らないうちに人を攻撃したり、言葉で傷つけたり、マウントを取ったり、と最悪な形で表に出てきていたんです。 学校や職場、時には大切な人にも出ていたこともありました。

 

もう最悪ですね。


でもその時は嫉妬との向き合い方を知らなかったから、どうしようも無かった。

仕方なかったんです。

 

嫉妬への向き合い方が変わったのは、心理学を学び始めてからでした。

僕の師匠である根本裕幸カウンセラーの著書

 

つい他人と比べてしまうあなたが嫉妬心とうまく付き合う本

 

を読んでから、嫉妬に対する考え方が180度変わりました。

「え??嫉妬ってめっちゃポジティブやんけ!」とびっくり。

 

この本から僕が一番学んだことは、

 

  • まずは嫉妬を感じていることを認める。
  • その嫉妬から大事なものを気付かされる。

 

ということ。

 

もちろん、言葉で言うのは簡単で、実際にできるかどうかは別物で。初めは”嫉妬をまず受け入れる”ということが到底難しかった。今だって完璧ではないけど、本を読む前に比べると、捉え方が変わったことは明らかで。

 

例えばの話です。
僕の場合、街中でカップルを見たり、幸せそうな家族をみるとすぐ嫉妬が出てきます。

 

先日はカフェにてPC作業していたら、隣の席にカップルが座ってきて、ずっとイチャついてるわけですよ。

で、湧いてきたんですわ、嫉妬が。

 

『おいおい、もうそろそろ辞めてくれん?視界に入るんよ。さっきからずっと。見せつけたいの??…なぜに俺の目の前で?もしかしてわざとしてる?今のタイミングで??』

 

なんて言いながらね(実際に口には出してないですが笑)

もう嫉妬がマグマのように湧き上がりまくりで大変でした。

もう嫉妬、嫉妬、嫉妬。

嫉妬爆発で、胸が張り裂けそうでした!😅

 

この嫉妬が湧いてきてから、ちゃんと受け入れるまでがとにかく苦痛です。

胸が痛みます。

 

でもここがすごく重要だと思ってます。

 

何かに嫉妬している自分を否定せずに認める、嫉妬をしっかり感じ切る。

受け入れるということ。

 

「あー自分はカップルがイチャついていることに、すごい嫉妬を感じてて、すごい悔しいし、腹立っててイライラしてるんだなー」と、少し俯瞰してみる感覚で自分を観察しておくんです。

 

怒りの感情も湧きますよ。

でもちゃんと感じて、逃げないようにする。自分に寄り添いながら。

 

で、気づいた時には、嫉妬の感情がサッと抜けていってるんです。

そしてしばらくしたら

 

『あー、俺ってパートナーを欲しがってるんだな』

『自分にとってはパートナーを持つことって価値高いことなんだな』

 

なんていう風にポジティブに、前向きになってるんですよね。自然と。

この気づきがとても大事!

嫉妬を通して自分を知れるチャンスになるんです。

 

こうして僕の嫉妬心への向き合う方は変わってきました。

ポジティブすぎるかな?

 

嫉妬を感じたら、まずは感じ切る。そして、大事な何かを気付かされる。自分の価値観がわかる。生きやすさにつながるヒントが得られる。

 

だから僕は嫉妬を前向きに捉えています。

嫌だけど、めっちゃ前向き。尊くて、大切な感情。

 

みなさんは何に嫉妬していますか?

誰のどんなところに嫉妬していますか?

 

その嫉妬の裏には、大切な何かが隠されているかもしれません。

 

それではまた〜

 

フミ

 

 

名古屋に来て1ヶ月

こんばんは。

見習い心理カウンセラーのフミです。

 

先日の10月19日で名古屋に来てから1ヶ月が経ちました。

まーじで早い、やばい。これが僕の所感です。(何がやばいのか笑)


今でも朝起きると『あ〜、…そうだよな、ここ名古屋か』という感覚になってます。そろそろ収まってくる頃だとは思いますが。

 

1ヶ月ともなれば、少しづつ慣れてきたこともあります。

 

例えば、毎朝同じコーヒー買いに行っているコンビニ。店員のおばちゃんに最近顔を覚えられて、注文を察してくるようになってきました。

毎朝バス停での顔ぶれを覚えてきました。彼らを見るとなんだか安心する(笑)

職場までのバスでの立ち位置に慣れてきました。

仕事中に睡魔が襲ってくるようになってきました。(緊張がほぐれてきた証拠)

そして一番重要とも言える、睡眠の質が向上してきたことです!これ、結構嬉しい。こっちにきてしばらくは、寝る前も落ち着かずに全然寝られない日々が続いていたので。

 

他にも細かいことを挙げるとたくさんありますが、全体的に生活の質が徐々に向上しつつありますね。いい感じ。

 

あと、生活環境が大きく変わった影響なのか自己肯定感も上がってきている実感がありますね。

 

これなんでなんだろうって考えた時、結構自分を信頼できてきてるんじゃないかと思ったんですよね。その方法は単純で、僕はいつもセルフトークしてるからです。

 

例えばですが今日の仕事帰りにも、

 

「あー今日も頑張ったなー、俺。名古屋生活、不安ばっかりだったけど、全然大丈夫そうやん。友達いねーけど、いい感じ。俺もっと自信持っていいんじゃね?毎日朝早く起きて仕事行っててさ、ちゃんと掃除洗濯できてるし、野菜も切って自炊してる。炊いたご飯もちゃんとラップして冷凍までしてエラくねぇか?忙しいけど、言い訳せずに周りの大切な人には時間とってLINEも返してるし、優先事項は守ってるし。余裕はないけど自分で稼いでちゃんと生活できてるし、いい感じになってきてるやん」

 

という風に。積極的に自分と繋がりにいくわけです。

今の僕の生活では欠かせない時間。実際このセルフトークが、今の僕(の心)を支えてるような気もしますけどね。

 

とにかく、これからどんなことが待ち受けているのか楽しみです。

もちろんたくさん問題も出てくるだろうし、慣れてくればもっと中だるみ?的なものも出てくると思います。いいことも悪いことも、どちらも受け入れる。受け入れる覚悟と準備をしておく。何かが起きた時は、その時の自分の反応も確認しながら、無理せず自分のペースで満喫していければなぁ、なんて感じた今日のブログでした。

 

自己信頼、自己受容、自己肯定。

 

これらを忘れることなく、自分を見失わないように充実させていきたいものですね。

 

おやすみなさい。

 

フミ

 

カウンセリング実習やりました

こんにちは。

見習い心理カウンセラーのフミです。

 

寒くなってきましたね。もう冬なんですかね?寒くない?

みなさまいかがお過ごしでしょうか。

 

ブログ、しばらく放置しておりました。すみません。久々の更新になります。

 

さてさて、昨夜は心理学講座で一緒に勉強している同期であるみんころがしさんとカウンセリング実習をやりました。同期とのオンラインでの初実習、ドッキドキでした。

カウンセリング実習とは、講座内で出されている課題の一つで、僕だけでなく全員がやることになっている課題。カウンセラーになるためのとても重要なステップ、経験だと僕は勝手に思ってます。というか、実際にそうです。避けては通れない道。否が応でも直面しないといけない、登竜門とでも言いましょうか。まぁそんな感じ。

 

制限時間は45〜60分、テーマはカウンセラーになる上での不安や心配事。僕がクライアント役、同期がカウンセラー役を担当しました。

 

カウンセリングの初めは雑談から入り、しばらくしてから僕の最近の一番大きな悩みである『ブログ書けない、発信できない問題』を打ち明けました。ついでに発信できている人たちと自分を比べまくって落ち込んでいる、という比較・競争のことについても触れることに。

そしてしばらく話していたのですが、知らないうちに話題は僕の罪悪感問題へ。続いて父親の死について、家族との関係性、自分軸ブレブレ問題などなど、、話が全然止まることはなく。途中から時間大丈夫かな?と気にはなっていたのですが、終わってみたら約2時間喋りっぱなしで(笑)

 

実習だったけど、深く、優しく、温かくカウンセリングしてもらいました。

幼少期を話した時はちょっと感情突き動かされたけど、僕の価値を教えてもらった。

これから向き合わなきゃいけない問題にも気づかせてくれたみんころがしさん。ありがとう🙇

 

カウンセリングした後にも、今の僕に響きそうな動画を紹介してくれたり、僕の幸せにつながるアドバイスまでもくれる献身的すぎるみんころがしさん。お世話好きな自立系武闘派女子あるあるなのかもしれないけど、そういう与える姿勢ってめちゃくちゃ大事だし見習わないとな、と学びも多い初めてのカウンセリング実習でした。

 

今回はクライアント役として臨んだけど、普段あまり自分の思いや気持ちなどを表に出さない(出せない?)僕にとって、悩みとか心配事を開示することが割と苦手な方だったりします。これ実は最近気づいたんです。

だから悩みを開示するときって結構戸惑うし、相手に伝えるまで少し時間がかかるんです。ぼんやりしてるから。悩みを吐き出せるように、言語化していないから。

プライベートではいつも聴く側に回ってしまう分、自分のことを聴いてもらえることがありがたく、時間を忘れるぐらい大切なんだなと感じました。

自分のことを人に開示して、共感してもらい、聴いてもらえること。これがどれだけ尊く、素晴らしい事なのかとクライアント側を経験して、強く感じました。

 

この感覚、忘れないようにしよう。カウンセラーデビューしたらきっと役に立つと思うので。

 

来週にはまた別の同期との実習が控えています。

カウンセラー役ちゃんとこなせるのかなぁ。実習とはいえマジで緊張してきた。

 

不安すぎますが、頑張りたいと思います。

 

ではまた書きます。良い週末を!

 

 

 

 

ブログ開設!

こんにちは、フミと申します。

 

この度、人生で初めてブログというものを書いてみることにしました。

よろしくお願いします。

 

ブログは読むもの、としか認識がなかったこれまでの人生。読む側から書く側になった途端、なんだか急に緊張?してきました。

 

何?ブログって。何書きゃいいの?

ただでさえ日本語下手なのに、そんな自分が不特定多数の方に向けてブログ書くなんて自爆するだけやろ、という心の声が聞こえてきました。あー怖い。

 

でもね、そう思っている”からこそ”始めてみようと思ったんです。

 

そりゃ今までやったことないことをやるわけですからね、最初はできなくて当たり前。ブログを書くと決めたのも自分であって、いつ何を書くか、どう表現するかも全て自分次第。

前々から感じてはいたけれど、書き出すことは思考を整理に繋がったり、アイディアが浮かんだり、自分の成長を記録する、とかメリットがたくさんあるんじゃないのかなと。あと文章力の向上にも最適だしね。(じゃなんで今までやってこなかったん?笑)

 

もう一つのきっかけが、最近受講し始めた心理カウンセラー養成講座。僕の師匠とするカウンセラーさんから「是非なにか発信してみてね」と言われたんです。心理学での学びをアウトプットする場として何がいいんだろ?と考えた挙句、ブログという形を選ぶことにしました。これから心について深く学んでいく中で、たくさんこの場で発信していきたいと思います。そしてその上で、このブログでの発信内容が誰かに気づきを与えたり、参考になったりすればもう最高やん、なんてことも思っています。

 

発信すること。

その恩恵を受けてきた側から、今度はたくさん与えていく側になれたらいいなぁ。

 

ということで…

前置きが長くなりましたが、とにかくブログビューをします。

ゆるーく、自分のペースで書いてみようと思います。

 

ではではまた👋

 

フミ